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いつかの見知らぬ感情ゆえに

2017年4月 ジャニーズを去った君へ

君がジャニーズJr.だったこと

好きになったアイドルがたまたまジャニーズJr.だった
ジャニーズJr.は100人も200人も存在してその殆どがデビュー出来ずいつかは去らざるをえない
それは分かっていたことだったし、私もいつしかその覚悟を心のどこかで持つようになってきた
 
彼がこの世界を去る日が来たら、私もジャニーズの世界からは足を洗うだろうとは思っていた
 
驚くほどに彼以外のジャニーズに興味が沸かなかったからで、
彼はどのJr.とも違うパフォーマンスをする人だったからだ
 
彼のダンスは贔屓目抜きでもJr.の中で上のレベルにあった
もちろん「ダンスが上手い人」ということに限れば他にも沢山いて、技術でいえばもっと上手い人もいる
 
でも彼のパフォーマンスはただ「ダンスが上手い人」とは違う
 
彼は、魂で踊る人だった

身体能力も飛び抜けて高い、
技術レベルもとても高い、
手足も長くて見栄えもする、
頭の先から指先まで手を抜かない、
向上心も強い、努力もする、
 
でも、何より特出していたのは
他にいない魂の叫びのような表現力
それが彼の最大の武器だった
 
あれは天性のものであり才能、そして何よりも彼自身の人間性のなすものだったと思う

例えば2012-13年の舞台『ジャニーズワールド』その年に森光子さんが急逝され、森さんへ捧げる演出のシーンが急遽追加された
 
そのシーンで彼は舞台上で泣いていた
そんな演技を求められていた訳ではもちろんなかったし、当然周りの演者はだれ1人として泣いてなんかいない
 
後に、雑誌で彼はそのときの理由を「気持ちが高ぶって悲しくて泣いた」と話していたが
森さんには恐らくまともに会ったこともないだろうし、そのシーンで彼は多数いる同じような脇役でしかない
それなのに、彼はボロボロと泣く
 
そのシーンが追加されて1ヶ月の舞台
1人だけ、ほぼ毎回泣き続けた
彼はそういう人だった
 
他に、昨年2016年夏『SummerParadise 2016 Honey♡Butterfly』では
中島健人くんの弾き語りする曲ディアハイヒールにて、彼がステージに1人立ちソロダンスするシーンがあった
そのコンサートは数日ずつ前後半の日程が組まれていたその後半のこと
 
彼はそのソロダンスで、出てくるやいなやボロボロと泣きながら踊った
感情を指先から足先まで全てに乗せ溢れ出るように踊りながら泣いていた
 
中島健人くんはそんな彼のパフォーマンスや表現力に対して「信頼している」と評し、彼にいくつかの曲の振り付けを任せていたと雑誌で答えていた
 
身体だけでなく心で踊りその世界観が憑依したようなパフォーマンスをする
私はそんなJr.を他に見たことがない
後にも先にも彼くらいかもしれない

だから他の上手いと言われている子のダンスをみてもしっくりこなかった
どれだけ目を凝らして探しても彼のようなパフォーマンスをするJr.はどこにもいなかった
 
ただそれがこうなるに至った理由のひとつでもあったのではないかとも少しは思ってはいた
彼とシンメを組んでバランスの取れる子なんて周りに殆どいなかったから
 
元々シンメだった岸くんが舞台に出て以降は、2人は離れてしまった
その後に暫くしてシンメとなった子がいたが、その子が数年前にJr.を辞めてそれからはずっと1人だった
 
何人かの枠にまじって踊ることはあったけど、待てど暮らせど、2人になって彼と合うような相手は現れなかった
 
彼は入所してすぐから、暫くの間Jr.の最前線で推されてきた
 
2011年11月にSexyZoneがデビューしてから、その初期バックとして彼は1番前でシンメで踊り、時にはそのシンメだけのダンスソロパートがあったし、彼にしか出来ない技・ヘッドスピンで華を添えていた、「岸颯シンメ」「セクバ」と呼ばれ当時のSexyZoneバックの象徴であったその1人だった
 
CSで始まったJr.の番組で彼は初期からメインレギュラーだったし、ドラマも二本でた
ジャニーズが毎年でるAOKIのCMにはJr.数人選ばれていたが彼はそのCMに二回出た、2年連続でそのCMに出たのは彼ただ1人だけだった
SMAPの大運動会特番、Jr.が4人だけ出た中にも彼はいた
 
それが高校生になった頃に少しずつ状況は変わり始めた、続々と出来始めていたユニットの選出から外れた
ユニットが出来ると、それに漏れた子達は結果的にそれより後ろで踊ることになった
 
それでも、彼やその周りのユニット選出に漏れた子たちはそれまでずっと最前線で推されていたので、Jr.ファン内の人気と知名度もとても根強かった
それ以降もアイドル誌には毎月載るし、アイドル誌の各種ランキングものにも以前と遜色ない上位にランクインしていたし、何ならユニットやってるJr.の大半よりランクイン数も多く順位も良かった、その頃から辞める直前までそれは変わらずに
 
改めて考えると客観的に凄い子だったと思うエピソードは沢山ある
そのひとつが毎年Jr.がいくつかに分かれてシアタークリエで行なわれるジャニーズ銀座


2016年の公演で、自身が作詞作曲した歌「今を咲く花」をギターを抱えて弾き語りした
元々歌が上手いのは分かっていたが、もっと上達していてもはやJr.の歌うまの中でもトップクラスに入ると思うレベルの歌唱力だったし、曲の完成度にも圧倒された 


そしてそれがtwitterでファンの間で非公式に決定されるジャニーズ楽曲大賞の未音源部門にノミネートされた


いっぱしのJr.のオリジナル曲、キャパ600人の会場で3回だけ披露されただけなのにと主催者様の粋さに感動したが、それだけでは終わらなかった


そんな少ない人の耳にしか入ってないJr.のオリジナル曲が、部門24位にランクインした


それは彼のファンだけでは到底入らないポイント数だったし、その頃の彼はお世辞にも事務所からは推されているとはいえない状況にあるJr.だったにも関わらずだ、そんなJr.は未だかつて他にいないだろう
 

それでも状況は一向に良くならなかった

 
その頃からは私の熱量も減ってきた
昔は熱心に書いていたファンレターも最近はとんと書いていなかった
twitterもあまり見なくなった
 
それは彼に興味が薄れたというよりは、彼のいないジャニーズを見るのが辛くなっていたのだった
 
今まで出ていた少クラに出してもらえなくなったら、「もっと踊れるしもっと人気あるのになんでなの」と思ってしまうから、全く観なくなった
 
毎月必ず載せてもらえていた雑誌は途絶えることは無かったけどもはや雑誌しかなくなった、いつからか「お願いだから、今月も載っていて」と毎月毎月祈るようになっていた
 
以前なら当たり前に出ていた舞台やコンサートに出なくなった、それらのレポがtwitterに流れてくるけれど何も見ないフリしてスマホに指を滑らせた
 
それでも、現場に出れば違った
彼がステージで輝く姿が全てだった
 
彼が踊るのを見た瞬間、世界がキラキラ輝き出すのがわかる
どんな時も変わらない、変わらないどころか常に必ずクオリティを上げてくる
 
パフォーマンスが彼の言葉だった
 
そこにいる、その姿が全てだった
 
だから、
だから、

 

いつしか、彼のパフォーマンスをみた感動や記憶が少しずつ薄れてしまっても

 

いつしか、彼自身がジャニーズにいた間の記憶をさほど思い出さなくなっても
 
それでも、
それでも、
 
ねぇ髙橋颯くん
 
君があのステージにいた軌跡を
あのステージにいた奇跡を
せめて今だけでも
 
薄れゆく前の記憶と
この思いをここに綴る
 
これが最後の手紙です。
 
 
私はアイドルが好きだ
でもアイドルというカルチャーそのものが好きで、誰かを特別応援するということはなかった
 
私は飽きっぽくてアイドル以外にも、サカヲタ、バンドヲタ、吉本若手芸人ヲタの時期もあったが、どれももって半年程で飽きた

 

それが颯くんには違った
2012年に颯くんを応援し始めて、2017年の春を迎えた
 
誰か1人だけを特別に応援するなんて
何年も同じ熱量を持ち続けるなんて一度も出来なかったのに
 
初めて、コンサートのチケットを取った
初めて、団扇を作った
初めて、生でアイドルを見たいと思った
初めて、ファンクラブに入った
 
それらの衝動を掻き立ててくれたのも颯くんだけだった
 
私は2013年末に会社を辞めた
年明けてすぐに転職して上京した
 
颯くんを応援してなくても転職はしたかもしれないが、東京に行く決断をしたのは絶対的に颯くんによるものが大きい
こんなことを言うとアイドルなんかで人生変えるなんてと驚く人もいるのだが、私にとっては大したことなんかなかった
むしろずっと東京には憧れていて、でもそれを踏み出すきっかけも勇気も足りなかった
 
でも颯くんと出会って決断できた
遠征費用もかからないし好きなタイミングで現場にいけるんだ!と思ったらそれまで悩んでた転職もいとも簡単に決断し実行できた
今となっては本当に出てきて良かったと思っているし変えるきっかけをくれた、決断の後押しをしてもらった、私にとっては恩人でもある


彼を知ることが無ければ本当に私は全く違う人生を歩んでいた
 
それだけじゃない
颯くんにはその颯くんらしさに姿勢を正されたことが何度もあった
 
彼が支持される理由のひとつでもあるのが、その人間力の高さだった
 
雑誌で自分のクイズを出すコーナーで「僕が今鍛えている力は何でしょう?」という問いをし「叱られる力。怒られたことをどう自分の身につけるか研究している」という答えをだす、それが颯くん
 
穴が空いたローファーでもあと1年で卒業だから勿体無いといって、靴下の替えを持ち歩くことでやりすごす、それが颯くん
 
Jr.友達に待ち合わせに遅刻されても怒ることなく4時間も待ってあげる、それが颯くん
 
高校生は校則を守るということが高校生らしいかっこよさだから茶髪にはしないと言い真面目かと茶化される、それが颯くん
 
早寝早起き22時寝の5時半起きをして今時の周りの子はもっとラフなのにと悩む、それが颯くん
 
コンサートでファンに18歳の誕生日を祝ってもらい「皆んな僕のお母さん!皆んなお母さん好きでしょ?家族好きでしょ?だから、皆んな僕のお母さん!」とチビジュ並みの発言をニコニコしながらする、それが颯くん
 
ペアでインタビューされている記事で「2人で何をしたいか?」を聞かれて皆んなもれなくふたりで遊ぶ内容のことを答える中で、岸くんとインタビューされた颯くんは「『SexyZone』を踊りたい」と答える、それが颯くん
 
「パフォーマンスのこだわりは?」という質問に「1回1回のステージが自分の未来を作っていくんだと自覚しながら踊っている。踊ることが僕の人生なんだと思うようになった」と若干16歳で話す、それが颯くん
 
颯くんはファンにも優しかった、いわゆるよくある営業サービスではない
ファンではない人にしてみたら、本当なの?営業じゃない?と思うだろうけど、私達ファンは皆知っている
痛いほどに、その優しさを知っている
 
例えば颯くんはファンレターにも一通一通ちゃんと目を通す
電車で読んでいるのを目撃されてツイートされるなんてことも度々あった
そんなツイートを見るたび凄く颯くんらしいなぁと思った、全部に目を通すなら合間時間を使わないといけないよね、だって22時には寝るんだもん
そんな全てが誠実で愛おしい人だった

 

私も返事を何通か貰ったし周りの友達も貰ったことがある人はとても多い
2年くらい前だろうか、ある友達が出した手紙にこんな質問を書いた返事を見せてもらった
 

『ジャニーズに入ってよかったと思ったことはなんですか?』
 
 
颯くんは、こう返してくれた 
 
 
 
『人生が豊かになった!!』
 
 
 
私はポロポロと泣いた
とても、とても
その言葉が、颯くんだったから
 
あぁ颯くんがすきだ、と思った
心の底から思った
 

颯くん、
その思いは今も変わっていませんか
 
ねぇ、辞めるなんて言わないでよ
19歳の誕生日も待たずこの日が来るなんて思ってなかった
早いよ、早すぎるよ
 
それでも、
颯くんが選らんだことなら
それでも、
君が幸せならそれだけで
辞めないでなんてエゴなのも分かってるから

 

君が納得できるパフォーマンスを
納得できる場所でやりたいのが
痛いほど分かるから
 
どこでもいいからジャニーズのステージで踊れればいいと思うのだったら、多分こうはならなかっただろう
仕事も全く無くなったわけでもないし人気は今尚あった、沢山の人に「颯くんは凄い」「颯くんは別格」と言われていた


私たちが多くの辞めたJr.を見て知っているように、多分そこにいる本人たちも気付いているだろう、ジャニーズ事務所にいるからこそジャニーズブランドが乗っかっているからこそ叶うこと出来ること許されることはあまりにも多い 


それでも選んだ、
 
2017年に入り、ジャニーズJr.の世界が明らかに変わってきた
あの頃に颯くん達が巻き起こした時のような、あれ以来とも言ってもいい鮮烈に新しい風が現れ、まさにセクバの再来のようだと言われ始めている


奇しくもそんな中の出来事、その中で颯くんが心を決めたことは本当にひとつの時代が終わるようで
何かが静かに消えていく感覚がした

 

颯くん
これだけは忘れないで

 

君は君のファンだけじゃなく、それ以外の沢山の人からも本当に大切に思ってもらっていたことを

 
それだけは忘れないで、お願いだから
 
本当にありがとう
 
この世界を選んでくれてありがとう
 
12歳から18歳の君の青春を
この世界で送ってくれてありがとう
 
どうか、
誰よりも幸せになって
 
どうか、どうか
君の夢や思いを、叶えて
 
バイバイ、
「ジャニーズJr.髙橋颯」くん

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